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  • 執筆者の写真清心寺

新型肺炎に想う

お世話になっている先輩のブログに『どんな事があろうと、まわりの目に怯える必要などないですよ』という言葉が掲載されていた。連日の新型肺炎のニュース、また現在の社会の取り巻く環境を見る中で出てきてくださった温かな言葉だと思う。


先日、新型肺炎を患われた方とSNSを通してやり取りをさせて頂いた。その言葉は実にしっかりとしたものであったが、その言葉の奥にある不安は計り知れないものであったと思う。ひとつは、後遺症などへの今後の健康不安。そしてもうひとつは、社会からの視線への不安だろう。

特に後者はどうだろうか…。スマートフォンでインターネットを開けば、見るつもりはなくても、感染された方に対する辛らつな言葉が飛び込んでくる。感染された方は不安から色々と調べる事だと思う。尚の事心無い言葉を目にする機会も増えるのではないだろうか…。


無症状の感染者がいるという事は多くの方が理解しているに違いない。自分も気づかぬうちに感染している可能性もあるだろう。しかし、そういった自己が感染者であるという可能性を抱えながら、感染された人に対して、迷惑や隔離、自己責任などと言葉を浴びせる。何とも矛盾しているのではないだろうか…。

家には受験生の息子がいる。確かに今感染してしまっては困る。しかし、そういった問題は政治的政策が解消しなければならない事であり、感染された方を責めていいという事にはならないだろう。


新型肺炎流行から約一年。こんなにも簡単に世の中が分断され責めあうようになるとは…。そういった言葉を飲み込みながら、ふと戦時中の全体化した日本の事が思い出される。全体化してゆく人間。その全体化した正義から漏れるものは排除してゆく。そういったことが恐ろしいと思う事が度々あったが、「過去の出来事だから」と心のどこかで思っていた。けれど今の社会を眺めると、何も変わっていない人間の姿が見えてくる。

「隠れなくていい。怯えなくていい。感染されたあなたが悪いのではない。社会のありようがおかしいのだから」そう今病にかかっている方に声をかけてあげたいと思う。


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