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  • 執筆者の写真清心寺

永代経法要

6月1日、自坊の永代経法要をおつとめさせていただいた。永代経というと、一般的に寺院が亡き方を永代にわたって供養してゆく。そうお思いになっておられる方が少なくないように思う。しかしながら私どもが頂いている永代経法要とはそういった意味ではない。


お釈迦様がインドで仏教を発見してくださってから、七高僧と言われる方々を通して親鸞聖人は仏法にお出遇いになられた。その後800年。様々な時代を懸命に生き抜かれた名もなき方々の手によってその教えのバトンが繋がれ、ただいま私が聞かせていただくようになったのだろう。


ご法話のご縁で度々出かけてゆくが、本当に不思議だなと思う事がある。都内でご縁を賜りご門徒と一緒にお念仏の教えを慶ばせていただく。また先月であれば、北海道の知床にあるご寺院でご縁を賜り、多くの方とお念仏の話をお聞かせいただき、味わわせていただいた。これだけ住む環境が違い遠く離れているのに、同じ教えを慶ばせていただいている事が、当たり前の事であっても不思議でならない。思えば、その背景には、教えをお伝えくださった布教使の方がおり、迎え入れてくださった寺院がある。また寺院にお聴聞に出かけられたご門徒がいる。そして、そういった方々のご縁の積み重ねが、国内に遍く、違いなく教えが届けられてきたのだろう。


そのように考えていく時、今つとめさせていただくご法要は、はるか昔から無数の方々のご苦労によってもたらされたものであり、決して当たり前の事なのではなく、有ることが難しい有難い事と知らされる。


永代経法要。何気なくおつとめさせていただいているが、過去からつながれてきた歴史の片隅に、また新たな1年が刻まれてゆく。お釈迦様から大切にされてきた仏法が、ここで止まること無きよう私が今ここで聞き、その慶びを次世代につないでゆく。永代にわたって紡いでゆくご縁としてつとめさせていただくご法要が浄土真宗における永代経法要のあり様なのだと思う。



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