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  • 執筆者の写真清心寺

キティちゃん

キティちゃんには口がないという事をご存知だろうか。口を書くことによって表情が決まる。仮に〝への字〟口であったならば、キティちゃんの感情は悲しみや怒りとなる。傍に居るキティちゃんが、自己が喜びにあふれている時に泣いていたならばどうだろう…。その存在は遠いものとなる。逆にニコニコと笑っている形だったならば喜びなどの感情となるが、自身が悲しみに暮れている時に、傍に居るキティちゃんが笑っていたならば、やはり遠い存在となってしまう。だからキティちゃんには口がない。貴方が悲しみに暮れている時は私も悲しい。貴方がうれしい時は私もうれしい。そう自己を否定することなく、自己の感情ぴったりにともに過ごしてくれる存在。それがキティちゃんなのだろう。


社会を生きていく中で、泣いていたならば「いつまでも泣いていたらダメよ。」「あなたがしっかりしなきゃ。」などと声をかけられることも少なくない。もちろんそれは励ましの言葉と理解できる。しかし励ましとわかっていながらも、その言葉によって自己の感情をひた隠し、生きづらさを感じる方も少なくないのではないか…。とある方が、「笑顔で泣くことがあります。」と仰ってくださった事がある。人前で泣くことは許されない。努めて明るく振舞いタテマエの表情で暮らす。しかし本音の部分では人知れず涙を流している。笑顔で泣く。これはやはり無理がある。この人生において指導者は多くいるが、辛かったね。うれしいね。大丈夫。と私の人生をくみ取り私の伴走者になって下さる方は少ない。


キティちゃんはそんな人とともに歩んでくれる存在。改めて無表情のその姿が尊く思わされた。



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