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  • 執筆者の写真清心寺

変わらぬ姿

中学3年の息子が受験シーズンに入り、どのような顔で接するべきか、どのような言葉をかけてあげるべきか考えさせられることが多い。3校受験する中で、先日2校目の受験を終えた。


自分の人生を振り返り、高校受験・大学受験に想いを馳せると、悉く届いた不合格の通知は今の私にとっては良い思い出となっている。しかしそれは、今自分がここにある事に頷けていればこそだと思う。受験は人生において単なる通過点であり、届いた不合格の通知も今の私の糧となっており決して失敗ではない。しかし、それは通過して初めて頷けることであり、当然息子には通用しない。


そんな時、つれあいから学ばせてもらったように思う。つれあいは、息子を見送るとき、ニコニコと手を振っていた。頑張れと言う励ましの言葉もかけず、大丈夫と肯定的な事も言わず、逆にミスに気を付けてね。注意をすることもしない。ただ笑顔で見送っていた。勿論、色々と心配していることだと思う。しかし、そこには言葉を超えた温かさがあったように思えてならない。


毎日本堂にまいってお参りをするとき、阿弥陀仏のお顔を拝見させていただく。見上げてみると、当たり前だが変わることの無いお姿でお立ちになられている。私自身の心はコロコロと移り変わり、腹立たしいときもあれば、穏やかな時もある。悲しみがあふれてくるときもある。しかし、阿弥陀仏は変わることがない。いつも同じようにいてくださる。

この変わらないというところに安心があるのではないかと思う。

また、こうするべきだ。ああするべきだと。生き方を示すこともして下さらない。生き方を示した瞬間に、その教えに合わせることが出来なかったならば、もうそこに居ることはできなくなってしまうだろう。


勿論、つれあいと阿弥陀仏はちがう。しかし、息子を見送る笑顔には、そのような温もりがあふれていたように思えてならない。変わらぬものに抱かれる安心。

私は、じっと黙ってみることが中々できない。少し見習ってゆきたいように思う。


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