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  • 執筆者の写真清心寺

会えるよろこび

昨日まで2日間函館にてご法話のご縁をいただき参らせて頂いていた。函館から夕方の便で羽田空港につくと、コロナウイルス流行に伴うまん延防止措置が適用となり、人出はまばらでひっそりとしていた。


ご縁を下さったご住職とお話しさせていただく中で、「多くの方がお寺に参りお聴聞してくださることが有難い」と申し上げると、『人と会える事を本当に皆さん楽しみにしている』と教えて下さった。


私は7人家族で暮らし、騒がしい子どもたちを見ながら、もう少し静かにできないものだろうかと思う事がある。しかし、独り暮らしをされている方はどうだろうか…。ともすると誰ともしゃべることなく1日を終えることもあるだろう。色々と思う事があっても相談することもできない。うれしい事があっても話す事ができない。人は不思議なもので、悲しみを理解してくれる人がいれば、その悲しみは減少し、うれしい事を共有する事ができれば何倍にも喜びが増すことがある。そういったことを知っていればこそ、人と会える事が楽しみになるのだろう。


新型肺炎の流行によって、不要不急の外出を避けようと色々な場面で報道されている。私も当初〝わざわざ今出かけなくても、来年でも再来年でも流行がおさまってからで良いではないか〟と思い、それによっておこるクラスターなどのニュースを見るたびに〝やれやれ〟と思っていた。


しかしどうだろう。40代の私は、保証はもちろんないけれども、無意識に来年、再来年の計画を立てて生活してしまう。しかし、例えばご高齢の方はどうだろうか…。仮に頭の中に死という言葉がよぎり、来年あるかな…。と思っておられる方も少なくないのだと思う。その今年最後かもしれないという思いがよぎるとき、桜は見たくなるし、人にも会いたくなる。いのちあっても足腰が1年で弱ることもありうる。そうすると旅行も動けるうちに、お友達と。という思いも当然出てくるのだろう。


勿論、それによって感染してしまっては本末転倒になってしまう。しかし、単純に今は我慢。今は我慢。と言い、出かけることに対して、指をさし、悪を裁くような正しさは想像力にかけた行為のようにも思える。


人と会える事を楽しみにお寺に来てくださる。というご住職の言葉を噛み締めつつ、羽田空港のまばらな人を見ながら、茨城のお寺に戻ってきた。


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