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  • 執筆者の写真清心寺

ありがたい

更新日:2021年1月5日

子どもの冬休みも残すところ数日となり、慌てて机に向かう姿を懐かしく眺めている。さて、新型肺炎の影響下の中、いつになく静かなお正月を迎えさせていただいた。人の動きも例年よりはるかに少なく、寺社仏閣にお参りに行かれた方も少ないのではないだろうか。明治神宮などは三が日で通常300万人も訪れるという。その数に驚かされるばかりだが、訪れる多くの方は、健康や商売繁盛など、様々なオモイを抱えてまいられるのだろう。


浄土真宗では、一般的ないわゆるご利益を求めお願い事をするという事はしない。すべての出来事は因と縁で成り立っており、そこから結果が生まれてくる。宿題をせずに怠けていれば、当然ながら今辛いという結果がそこに生じるのだろう。


思えば、困ったときの神頼みは、そういった因縁に目を向けることなく、今ある現実からただ眼をそらし、過去を振り返ることもなく、ただ都合のいい事を神仏に押し付けているように思えてならない。勿論、どうしようもない現実の中で、すがる思いでお願い事をする人の心情を否定するわけではないが…。


有難い。とは「有る事難し」という言葉から出来上がっている。今、私がここにいるという事実の背後には、無数の縁が網の目のように張り巡らされ、その上にこのいのちが成立している。まさに「有る事難し」のいのちを今ここで生きているのだろう。


しかし、この事実を当たり前と思い、自身に都合のいいご利益を求めるというのは、有る事難しの事実とは全く逆の方向に意思が向いているのではないだろうか。ご利益、当たり前ではなく、今私を支えてやまない大いなる因縁に目を向けさせていただく時、自然と手の合わすことの出来る人生が恵まれてくるのではないだろうか…。そして、そこに自身のいのちの深さというものが知らされてくるのだろう。


…さぁ、子どもたちよ。宿題頑張っておくれ(笑)


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