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  • 執筆者の写真清心寺

つながり

小学校1年の娘から「おとうさん一緒にあそぼう」と言われ、いいよ。というと任天堂スイッチライトという一人用のゲーム機を持ってくる。本来一人で遊ぶものであり、私は操作することなどないが「一緒にあそぼう」という問いかけに「良いよ」と応えた以上、その場から離れることもできずに隣に座っている。時折、上手だね。面白いね。と声をかけると娘は微笑み返し、嬉しそうな顔で応えてくれる。どうやらそれで満足なようだ。


思えば、人は不思議なもので、隣に自分と同じ感情のものが1人いればその喜びは×2なのではなく、何倍にもなる。逆に悲しみを抱えている時に、本当に自分の気持ちを分かってくれる人が隣にいたならば、悲しみが無くなる事はないけれども気持ちが楽になる。

また、自身の想いを理解してくれる方の言葉はその言葉を聞いただけで安心する事ができるだろう。


そういった喜びを私たちは知っていればこそ、今の社会が非常に冷たいもののように思えてならない。新型肺炎の流行下、感染者が出たと聞けば感染者を探し、見つかれば一斉に非難する。まるで言葉の袋叩き。いつでも自分はジャッチする側に回り、外国が、東京が、パチンコ店がと指をさす。感染者に必要なのは、間違いなく言葉の暴力ではなく、優しい言葉と治療なのだろう。誰もが感染者になりうる状況の中で、善悪のジャッチは無意味なように思えてならない…。


「お父さん一緒に遊ぼう」とほほ笑む娘の姿。「楽しいね」と私に度々確認する姿を眺めつつ、誰もがこういったつながりの安心を求めているのだろうとふと思わされた。自身の立ち位置を確認させてもらいつつ、歩んでまいりたいと思う。


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