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  • 執筆者の写真清心寺

道標

更新日:2021年1月31日

競争社会において現状に満足する事は難しい。立ち止まることが許されず、人生において勝ち続けなければならない。


小学校の頃は足が速い人に憧れた。中学に入ると賢い人に憧れ、自分も負けまいと運動し勉強をする。よりよい高校に入り、よい大学に入り、給料の高い就職先を選び、就職すれば昇進を求め、同期に先を越されると自分も負けていられないと思う。結婚し家庭を持てばどうだろう。子どもが生まれれば他の子と比較をし自己が達成できなかった事を子に求める。否応なしに子は競争の渦に飲み込まれてゆくのだろう。仮に目標を達成したとしてもそこに満足はない。「もっと上へ」「より良いものを」「もっと早く」とどこまでも渇望する。

それはまるで海に放り出され、立ち泳ぎをし続けるような苦しみではないだろうか。足を止めれば沈んでしまう。満足したとたんに自己の成長が止まってしまうのだろう。勝ち続け、そして時が来ればこの人生を終えてゆく。勝つための人生なのか…。そう思うと何か虚しさも感じるが、そう言って立ち止まることも許されないのだろう。


福山雅治さんの「道標」という歌がある。その中に一部こういった歌詞が書かれていた。


『傷もためらわず 痛みもかまわず

〝勝つこと〟ただそれだけが正義と

 壊れてもまだ 走り続けるわたしにも

 あなたは やさしく…』


競争社会の中で高みを目指すことは否定されることではない。しかし、傷つき立ち上がることのできないような苦しみを抱えてもなお、立ち止まることも許されず走り続けなければならないのは更に苦しい。だが、どうだろう。その苦しみを抱えながらも「あなたは やさしく」と歌詞にあるように、傷ついた私に「頑張れ、もっと」と言うのではなく「大丈夫」と自己を丸々認めてくれる存在があったなら…。その温もりに触れる時、辛い事実は変わらなくても、人はまた歩き出す事ができるのではないかと思う。また「地面があるから ずっこけられる」という言葉とも出会わせて頂いた。当たり前の言葉だ。しかし、この当たり前の言葉が有難く・難しい。誰も転びたくはない。でも、転んでしまった時にその私に対して『あなたは やさしく』とドンと受け止めてくれる存在があればこそ、人は生き抜いてゆけるのだと思う。そして、その優しさが、私の人生のよりどころとなり、勝ち負けに終始してしまいそうになる私の人生の道標になってくれるのだと思う。


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