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執筆者の写真清心寺

10年

2011年3月11日、東日本大震災から10年を迎える。この10年という時間の中で、被災された方々がどう生き抜いてこられたのか、新聞やメディア・インターネットなど様々な媒体を通して聞かせいただいている。当時の事を振り、ギュッと心が痛む方も多いのではないだろうか…。また、10年という節目や区切りを大切にしている方も多いと思う。しかし、ともするとその区切りというのは、時にいつまでも下を向いていては駄目だと無理に笑顔を求めていくような声になりかねない。また、時間は薬という言葉を聞くこともあるが、月日が経てばたつほど悲しみの色が濃くなってくることもある。だからこそ、この10年という数字をことさらに強調し、ひとつの区切りのように考えてしまっては申し訳ない。


先日新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が1都3県で延長が決まった。出口の見えない中を歩んでいる多くの方々は、落胆されたことだと思う。私もそのひとりであり、その想いを否定する事はできないのだと思う。しかし、同時に想う事は、福島第一原発の爆発事故で故郷を追われた方々は、未だ放射能の影響を鑑み、緊急事態宣言中であるという事。10年という月日、緊急事態宣言下におられることのご苦労を思うと、何とも言えない気持ちになる。


そういった中、ある記事に目が留まった。あの津波でおつれあいを亡くされた男性の言葉として『陸前高田には星になった人がたくさんいる。いつそっちの世界に行くかわからないけど、行ったときには胸を張って会えるようにするから』といったものであった。

人との別れは言葉にできないような悲しみがある。触れたくても触れる事ができない。もういちどあの懐かしい声を聞きたくても聴く事が許されない。しかし、その別れの事実と向き合いながら、絞り出したこの男性の言葉には悲しみを抱えながらも生きる姿が溢れていた。


また会える事。私ども浄土真宗は、いのちの縁尽きたとき再び会うことのできる世界が約束されている。また会えるからこそ、ひと時の別れはさみしいけれども、会えることを楽しみにこのいのちを歩ませていただくのだろう。しかしもうひとつ言えることは、また会うことのできる世界が恵まれているからこそ、懐かしい方と会った時に、申し訳なく目をそらしてしまうような生き方ではなくて、色々あったけれども生き抜いてきたよ。と言えるような人生を私自身が求め歩んでゆくという事ではないだろうか…。


あれから10年。あの時には考えもしなかった新型肺炎など様々な出来事があった。そしてこれからも色々とあるのだろう。その時々で右往左往してしまうのだけれども、『陸前高田には星になった人がたくさんいる。いつそっちの世界に行くかわからないけど、行ったときには胸を張って会えるようにするから』この言葉をいただきつつ、何が大切なのか見失わぬよう、また新たな1年をスタートさせていただきたい。


画像は鎌倉に住む友人が送ってくれた、湘南から望む富士山です。


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