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  • namu27

居場所

3日より北海道の布教のご縁を賜っている。釧路でのご縁の後昨日は羅臼。明日から札幌のご縁の為、本日は中標津空港から新千歳まで空路にて移動した。


さて、この度参らせていただく寺院は、全て浄土真宗東本願寺派であり、どのご寺院も始めて参らせていただく。

初めて参るご寺院。初めてお会いするご住職。いささか緊張しながらも、お寺に到着し本堂に参ると安心する。言葉にはしがたいが、ここが私の場所なのだと感じることができる。


本堂の正面に阿弥陀仏がご安置されており、周りは綺麗にお飾りされている。外陣(私たちが座る場所)は広く、椅子や座布団が並ぶ。本堂の隅には、皆さんが参られた際にお茶を頂く席とテーブルが設けられ、お茶菓子や湯飲みが出番を待っている。


浄土真宗のご寺院は、派はいくつかに分かれてはいるが、全ては聞法の道場であり、修業をする場ではない。煩悩を抱えながら生きる私のありようを見つめ、阿弥陀仏の願いとともに歩ませていただくご宗旨である。


その仏法は、私に変化を求めない。いや、変化しようのない人間の心の奥底まで知り尽くした仏が、ともに歩んでおくれと私に向かってくださっている。


他者に私の心の奥底まで知られたら、もうその方とともにいることはできないだろう。なぜなら、私の本音を知ったその方が、私をどう評価するのだろうかと不安になるから…。しかし、阿弥陀仏は私を知り尽くしながらも評価をしない。ただ私を抱いて下さる。それはまるで幼子を抱えあたたかな笑みをもって見つめる母のようなまなざしで…。


評価をされぬと知ることができるから私は安心することができるのだろう。寺院で育ち、仏法を聞かせていただくようになり、その阿弥陀仏のお心を聞かせていただいていればこそ、はじめましてのどこのご寺院であっても、そこが私の居場所になる。阿弥陀仏がご安置されているだけでいつでもどこでも「ただいま」と帰ることができる場所。それが浄土真宗の寺院。そんなことを思わされた。


写真は、羅臼町から眺める国後島。



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