インターネットを利用していると、時々人間認証が画面に出てくることがある。いびつな形をした数字やアルファベットの羅列が出てきて、それを打ち込まなければ次の画面に進むことはできない。これは人間であるからこそ認識できるものであり、コンピューターがその役割を担う事は今のところできないようだ。もしコンピューターがこれらを学習し、突破する事ができた場合、例えばグーグルのアカウントをいくつも自動的に作成し、ツイッターのフォロワー数を簡単に増やす事ができる。多くのSNSはフォロワー数や視聴回数がそのチャンネルの経済に影響を及ぼすので、この人間認証というものの大切さを知らされる。
しかし、ある国がこの人間認証を突破するプログラムを開発したという話を聞かせて頂いた。認証1件につき0.3円。仮に1,000人のアカウントを作成しようとした場合、300円かかる。技術の発展によって人間の生活が豊かになる反面、悪用すればこのような不正な行為はいとも簡単に出てきてしまう。
しかし、この話には続きがあった。そのプログラムの内実は、人間による手作業というのだ。表向きはプログラムと言い、いかにも機械の技術によってできているかのように装い、実のところ何人もの人間が、その作業を一つひとつ手作業でしているという。何とも滑稽な話だと思わず笑ってしまったが…。しかし同時に虚しさも感じさせられた。
今まで科学自術は人間がより良いものを、もっと多く、早く、遠く…。それらを達成するために発達してきたのだと思う。人間が主となり、人ができない事を機械が担う事によって、不可能な事を可能にしてきた。しかし、上記の話はどうだろうか…。コンピューターにできない人間認証を、コンピューターに代わって人間がしている。人間が主になりコンピューターを使うのではなく、コンピューターが主となり人間を使っているような構図がここにあるのではないだろうか。そう考えてゆく時、人間認証という行為そのものが、皮肉にも人間らしからぬコンピューターの下請けのようなものとなってしまう。
世の中便利になった。リアルタイムで様々なことがわかる。いまやYouTubeで宇宙の様子をライブで見る事もできる。自宅に居ながらインターネットで買い物ができるし、中々会うことのできない友人ともzoomで顔を合わせることもできる。しかし、それら便利なものを求め当たり前のようにその渦に飲み込まれてゆく時、その陰で何か大切な事を見失っているのかもしれない。
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