毎日が誕生日
- namu27
- 2023年5月5日
- 読了時間: 2分
釧路に布教のご縁で来ている。そこでご高齢の方より「毎日ご飯が食べられる。それだけでありがたい。毎日が誕生日のようなものだ。」とお聞かせいただいた。非常に素敵な言葉と思わされた。
少し話が変わるが、とある万華鏡美術館を訪れた際、その美術館の方より「万華鏡が織りなす形は似たようなものであるけれど、同じものはありません。その二度とない形の一つひとつが輝いているのです。」とお聞かせいただいたことがある。
私の日々は、朝起きてお参りをし、朝食をいただき子どもたちを見送る。寺務作業をし、昼食。そうこうしているうちに子供たちを迎える時間となる。時々そういった日常をこなすように生きているが、そういった時、万華鏡美術館で聞いた言葉が思い出される。毎日のこの日常は同じような日々の繰り返し。そこに輝きを私は見ることは無い。しかし、同じような形の繰り返しである万華鏡が輝いているように、実は私の日常も輝いているのではないかと…。
いつからか、どこか旅行に出かけたり、遠くの友人に会ったり、人生の節目であったりと、そういった非日常に輝きを見、日常はつまらないものだという認識でこの人生を眺めてしまっているのではないだろうか。
「毎日ご飯を食べられる。それだけでありがたい。毎日が誕生日のようなものだ。」毎日毎日、この瞬間も、様々なご縁に支えられ、育まれて生きている。この私がここにある事。そのこと自体が尊く有難いことだと思わされた。

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