『芥子の地も 捨身のところにあらざることなし』
仏さまのおこころをあらわして下さっている言葉としてお聞かせいただいている。
芥子の実は例えばアンパンや饅頭の上にのっていたならば、芥子の実と気づく事ができる。しかし、そのゴマ粒ほどの大きさの芥子の実が地面に落ちていたならばどうだろうか。きっと誰も気づかずに素通りしてゆくだろう。
思えば私たちは、時々自身の身小ささをこの社会の中で突き付けられるように知らされてゆく事がある。「誰も理解してくれない・なぜ自分だけ」と思う時、この社会に自分は必要とされていない。私一人いなくたって世の中変わることない。などと自分を諦めてしまう事もあるのかもしれない。
世間の中では確かに自己の抱えている問題は小さいのかもしれない。逆に自身も自己の苦しみには敏感でも、他者の苦しみには鈍感できっと素通りし続けてきたのだろう。
互いが互いを見落とし続ける社会。その見落とされるような問題に立ち止まり、身を捨ててでもあなたとともにいる。そういってくださる仏さまがいて下さる。
『芥子の実も捨身のところにあらざることなし』この言葉をこのように味わい、いただいてる。
「あなたが大切」そう言ってくださる方がともにある。そのことを大切にしてまいりたい。
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